雑司が谷旧宣教師館
雑司が谷と言えば、霊園や鬼子母神と和風のイメージですが、そんな中に明治から昭和初期にかけて日本でキリスト教の布教活動に従事したJ.M.マッケーレブという方の住んだ宣教師館が残っています。 都内の洋館は、様々な分野で名を成した人たちの邸宅が多いように感じますが、 こちらは比較的こじんまりとした印象で、横浜に残る洋館に通じるようなデザインにも見えます。 玄関ポーチ側はオーソドックスな感じですが、庭に面した側は外廊下に広い窓を組み合わせていて、少し和の香りを感じる気もします。 冬場は寒くて好きではないですが、真昼でも光が柔らかくてそこはいいなと思います。 華美な建物ではありませんが、それでもこの時代の様式美のようなものがあちらこちらに散りばめられています。 コロナ禍も2年目でルールは確立されてきたけれど、まだ人出は少ないころだったので、のんびりと建屋内を見て回りました。 宣教師菅を出てぶらぶらと歩きます。 年号が令和に変わって、都心の再開発で高層ビルがどんどん建っても路地裏の雰囲気は変わりません。 最近ではあまり見なくなった町中のタバコ屋ですが、バブル期に地上げされそこなって、そのまま取り残されたかのようでした。 東京カテドラル聖マリア大聖堂まで歩いてきました。 教会内は撮影禁止で写真はありませんが、中に入ると、なるほど名建築と言われるだけはあるなと思わされました。 装飾的な要素がほとんどなくて、ややもすると無機質な感じなのに祈りの場にふさわしいと思わせるような厳粛な雰囲気がしました。 なかなか行く機会がありませんが、いつか安藤忠雄の光の教会にも行ってみたいものです。 日暮れまでまだ時間もあったので、以前から気になっていた銀座奥野ビルへも行ってみました。 奥野ビルは昭和初期に建てられたアパートで、まさにレトロビルといった風情です。 現在は商業ビルになっていて、ギャラリー、セレクトショップ、アンティークショップと洒落たお店が軒を連ねています。 野暮な自分には縁遠い世界ですが。 エレベーターのインジケーターも昔のままで、各階ごとに表示板の造形が異なります。 昔はこういう木の手すりだったなと思います。 文化財として保存されている建物ではまだまだ見かけますが、現役の建物ではなかなか見なくなったのではないかと